情報を見極める力がとても大切な時代になってきていますね

毎日、生活の中でたくさんの情報やニュースに囲まれ埋もれ呑まれながら生活するような時代になってきました。スマートフォンが普及し始めてからそれは猛烈に加速したように感じます。それまでは端末から得られる情報量にも限りがあったので、どうしても他の媒体(新聞やテレビなど)が入り込む余地が残されていました。しかし、ここまでスマートフォンが普及していくと、便利の裏腹には特定の情報だけを見てしまう怖さが潜んでいるように感じます。

本当に正しいものはなにか

個人的な考えとして言うならば「自分が実際に見て思ったこと」と私は考えています。100%信じ切れることというのはそうことだけだと思っています。

しかし、私も含め現代の日本に生きている人の多くが、とんでもない情報量を摂取して日々生きています。どこで見たか聞いたか忘れましたが、一説によると江戸時代に生きた人々が数年かけて得ている情報量を我々現代では1日で得ているという話も耳にしたことがあります。それぐらい過去に比べて莫大な情報量を得ています。

その中から「自分が興味のあるもの」や「世間が注目しているもの」などを選んで読んだり見たりしていると思います。そして、過去に見た情報をもとに最適な情報を選んで発信してくれるサービスまで出てきています。

この雑多な情報の中にはどれくらい信じ得るものが存在するのか。最近そんなことをよく考えます。

一つの情報で人間の生涯にまで影響を与えることが可能となった時代です。その情報が正しいのかどうかは別として、です。とても恐ろしいものです。「みんなが言ってるから正しいだろう」「みんながそう思っているから正しいだろう」といった考えが歯車を回して、事実とは超越したどこかに新しい事実を作ってしまうような現象が存在するのではないかと思わせられるほどです。

本当に正しいものとはなんなのでしょうか。

2つの「正しい」が必要

私は2つの「正しい」が必要なのではないかと考えています。それは、発信するメディアが「正しい」情報を流すこと、そして読み解くユーザー側が「正しい」かどうかを考えて情報を得ることです。

私感ですが、ネットメディアの中にはPV(閲覧されるページ数)か稼げれば良いと考えているところがとても多いように感じます。たまにですが老舗の新聞社さんにすらそれを感じることもあります。特に記事のタイトルのつけ方なんかに現れますね。内容を全然示さないタイトル、もしくは誤解を招くことが安易に想像できるタイトルとかですね。あれは意図的に前述の結果を狙っているように感じます。

しかし、それらはすべてビジネスで情報を扱っています。ですので営利的なことを目的とするのは当然です。そこにモラルや理念があるかどうかが問題なだけです。

そして、情報を得るユーザー側にもその情報が「正しい」かどうかを考える必要があります。確かに若年層では「面白ければいいじゃん」と考える方も多いでしょう。しかし、最近のメディアの中にはどうも作られた面白さしか感じないようになってきました。「正しい」情報を面白く伝えるのと「正しい」情報を題材にして面白く伝えるのとは全く意味が違ってきます。前者は情報の真意は保ったままですが、後者は情報の真意を損なっているという状況です。

このような情報が溢れる中、情報を得る側がしっかりしないといけない時代になってきていると感じます。

まとめ

私も子供を持つ親の一人ですが、これからの時代に情報とどう向き合って生きていくかということは、人の生き方や考え方に大きく関わってきます。情報を発信する側が多彩化していることを考えると、同じように情報を得る側も色々と考えて生きていかないといけない時代になってきたなと痛感します。

そして、いままでは情報を受けて得る時代でしたが、これからは自ら情報を得に行くという形に変わっていくべきかなと感じます。そうすることによって、自分からメディアを選ぶ習慣もできるでしょうし、今よりも情報の質を考えることが必要になってくるからです。自分でしっかりと情報を選ぶ時代はもう来ているのです。